色覚多様性という言葉
皆さん、こんにちは。ハジメです。
平成2年生まれの平凡な会社員の男です。
今回は奥さんからのリクエストで「色覚多様性」という言葉についてお話しします。
読者の皆様は「色覚多様性」という言葉聞いたことはございますでしょうか。
聞き慣れない言葉ですよね。私も色弱関連の調べ物をしていなければ聞いたことがなかったと思います。
経緯としては2017年に日本遺伝学会が用語改訂を行ったことがきっかけです。
https://gsj3.org/wordpress_v2/wp-content/themes/gsj3/assets/docs/pdf/revisionterm_20170911.pdf
人間の遺伝子はそれぞれ違うものからできていることが当たり前ですので、目が青くなる遺伝子や、血液型の遺伝子もあるわけです。
色覚の遺伝子だけを「障害」として認識するのではなく、「多様性」として認識しよう、そもそも人間はいろんな人がいるではないか、ということです。
しかも色弱の方の多くは普段の生活で困ることも多くないので、「色覚異常」と他の「異常」とは違うんだと医者の先生方も配慮?してくれたのでしょう。
そして遺伝学会が使う正式な文書や教科書から「色覚異常」という言葉をやめているらしいです。
まだ眼科学会は「色覚異常」という言葉を使っているようです。
https://www.gankaikai.or.jp/colorvision/
僕はこの言葉を聞いて、色弱の人は言葉自体はそんなに気にしてないのになあと思いました(僕は色弱でも色盲でもいいのですが、色弱の方が感覚的にハマる感じがしてますね)。
私は高校と大学をアメリカで過ごしたため、日本人をある意味、第三者目線で見る時がありますが、日本人は「普通」であることをとても好みます。
普通の色が見えないことは、普通ではないことであって、冷ややかな目で見られます。
だからいつまで経っても日本人は色弱であることを他の人に言えないのでしょう。
それを少しでも緩めるために、学会は「色覚多様性」という言葉を使って、少しでもハードルを下げようとしているのだと思います。
ただ色弱の本人からすると、多様性とはいうものの、見えないものは見えないです。
学校で「ヒトには色覚多様性があるから、僕は赤が見にくいタイプなんだよ!」と言っても、会話が成り立つはずがないですよね。
見えないものは見えないものとして、ちゃんと認識すればいいのに…
つまりは、日本の社会がもっと色弱を受け入れる心を持つことが何よりも大事なんだということです。
英語では色弱・色盲を「color blind」と言います。直訳すれば「色盲」です。
これ以外の表現は聞いたことはありません。
友達の中に同じ色弱も結構いましたし、化学の先生もそうでした。
化学の先生に至っては、「この〇〇反応では、炎が赤くなります。僕は色盲だから、みんなにはきっと真っ赤に見えてるんだと思うけど、僕には少しグレーっぽく見えるんだけど。」みたいなことを言ってました。
その時初めて私は「色盲ってみんなに言ってもいいんだな」と思ったことを今でも覚えています。
化学の先生なんて、色をよく使いそうだから、色盲だったらなれない職業だろう…と思っていましたが、さすがアメリカですね。何も関係ない。
それから僕も「I’m color blind.」ということができるようになっていました。
「色覚多様性」といった言葉に頼らずとも、日本の社会も色盲・色弱を受け入れられる世の中になるといいですね。
以下はちょっとした宣伝です。
https://readyfor.jp/projects/truecolorst-shutproject
NPO TRUE COLORSさんが、ダブルビジョンTシャツを作ってらっしゃいます。
色弱の人にしか見えない物や絵柄もあるんだぞ、っていうのを具現化して頂いた物です。
私も出資しましたよー
CUDOさんが出している本もご紹介します。
色弱の子供を持つお母さん・お父さん、数多くのお子さんを扱う保育園の先生も含めて、色弱について「知る」ことはすごく大事ですよね。
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色弱であることを胸を張って言える時代がいつか来ますように。